振り返り
大学4年間の振り返り
(2023年3月2日)
管理栄養士国家試験を終え、自己採点も終わりおそらく合格しているであろうという目途が立った。卒業判定は国家試験を受ける前から合格が出ていたため、このまま特に大きな問題を起こさなければ無事管理栄養士として卒業ができそうだ。そこで、大学に入学してから現在まで4年間の振り返りをしたいと思った(わど君にめっちゃ影響は受けてる)。
入学前
私はこの大学入試にセンター利用という方式で合格した。センター利用とは、センター試験の点数だけで合否を判定する方式で、主に滑り止めでよく使われる方法だ。私は一応前期で受けた国公立大学にも合格はしていたけど、家からは通うことができないという点、理工学部にあんまり興味がなかったという点、(後述するけど)通院が困難になるという点から、そちらには入学しなかった(じゃあなんで受けたんだとは思う)。浪人中は薬学部を第一志望にしていたけど、浪人中あまり勉強に集中できなかったこともあって、学力は現役生のころよりも落ちてセンター試験を受けた時点で国公立薬学部は絶望的だった。取り寄せた願書の中でとりあえず受かりそうなところに適当に出願した記憶がある。
出願の際、滑り止めとして出願したのが今の大学だった。学科の名前に「食品」って入ってるし、私も「食」には興味があるし、と思ってなんとなく出願した。前述したとおり、センター利用はセンター試験の点数のみで合否を判定するため、出願の書類を出した数週間後に合格と書いた書類が届いた。私は今の大学に、文字通り願書に名前だけを書いて合格した。
入学を決めてから数日が経過し、学生支援課へ行こうと思って大学のキャンパスを調べたときに驚いた。家から片道2時間もかかるということが判明した。正直絶望しかけていたけど、辛かった浪人生活が終わりを迎えるということに安堵する気持ちの方が大きかった。
入学
4月。入学式を迎えた。私立らしい(偏見)派手な入学式で、これからの学生生活を思って胸が躍った。数日後、新入生ガイダンスがあった。
私が入学したのは「管理栄養士養成課程」であるということを知った。
理系なのに周りほとんど全員女の子だし何かがおかしいとは思っていた。突然、国家資格の取得を目指して頑張りましょうと言われ正直困惑した。そんな一方で、前述したように「食」事態には興味があったため、管理栄養士もおもしろそうだという気持ちも大きくなり、頑張ってみようと決心した。入学早々なかなかのハプニングではあった。
そういえば、大学に入学するにあたって大学デビューもした。それまでファッション誌とか買ったことなかったけど買ったし、コスメも店員さんに全部選んでもらったけど何とか買えた。余談だけど、大学入学前後で変わりすぎて親戚の人に「成形した?」って言われた。私の人生の中で言われた失礼な言葉トップ3に間違いなく入る言葉だと思う。いや、別に整形してても特になんも思わないけども。
一回生
それなりに友達もでき、楽しく大学には通っていたが想定以上にかなり忙しかった。学生実験は一回生からあって、長いときは終バスの時間まで実験させられたし、調理実習で作ったものは家でも再度作るように課題が出たり、解剖学ではA4手書きレポート100枚を提出させられたり、それはそれとして試験もあり、語学も30回も授業あるのに3回欠席したら落第みたいな授業もあったり、かなりのスケジュール管理能力が求められて大変だった。空きコマに友達と黙々と勉強やレポートに取り組んだのは今思えばとても懐かしいなと思う。A4手書きレポート100枚は普通に間に合わなくて落とした。
後期に入ると、実験もさらに高度になってラットの解剖を行ったりもした。後期の終わりになってくると忙しいのが少しノイローゼになったりしてキャパシティを超えてしまったりした。寝坊して実験の試験を受けられずに単位を落とした。
夏休みには友達と小豆島に旅行に行ったり、アメ村に遊びに行ったり、結構充実した大学生活を送ってたと思う。
一回生の冬にじゅるりあのオフ会があった。ちょうど誕生日の少し前で、まだ未成年だったのを覚えてる。
初めてバイオリン買った。たぶん一回生の1月ぐらいのころ。
3月、新型コロナウイルスが蔓延し始めた。
二回生
オンライン授業が始まって戸惑いつつもそれなりに楽しんでいたと思う。この時期が一番グラブルをやってたし、ラーメンとかも作ってた。家庭菜園に興味が出てきたのも多分このころ。
一回生で敗れたA4手書きレポート100枚に二回生でも苦戦して、一週間で130時間ぐらいずっとレポートと向き合うなどした。本当に今思っても馬鹿だと思う。
夏休みに解剖学の実習で、人体標本を見に行ったのがとても記憶に残ってる。匂いが結構きつかったのと、人って動かなければ本当に肉と変わらないんだなって思った。まぁホルマリンにつけられてはいたけど見方を変えればバラバラ死体だしね。
古戦場の英湯取ったのもこのへんだった気がする。
免許も取った。
実験は昨年テスト寝坊して落としたけど、実験自体はとても好きだったから下級生相手に俺ツエーものみたいなことしてた。強くてニューゲーム的な。
塾講師のアルバイトを始めた。最初は小学生の女の子で、四則演算や分数、少数の計算を教えたりした。そこから中学生、高校生とかの数学も教えるようになった。
三回生
三回生になって授業のコマ数が一気に減った。その代り実習とかの課題に取り組む授業が増えて、それに工夫して取り組むのが大変だったと言えば大変だった。
自分に対して栄養アセスメント(栄養管理的な)ことをする実習があったんだけど、それで半年間ダイエットというか、健康的な生活を続けてて、今思えばとてもえらいなって思った。
高齢者施設に一週間臨地実習に行った。施設の調理師の人とはそれなりに良好な関係を結べたおかげか、まぁまぁ楽しく実習できた。それはそれとして、片道2時間半かかったのでとても大変だった。
一か月入院して手術した。コロナで面会もできなくて、シンプルに不安で孤独だった。まぁとはいえ個室だったからPCもスイッチも持ち込んで通話したり楽しく過ごせたとは思う。術後半年ぐらいしんどいっていう話をブログとかで読んでげんなりしてた。今思えば2ヶ月ぐらいで普通に動けた。
コロナにかかった。退院後動けるようになってきてすぐにかかったから出ばなをくじかれた感があった。それと、研究室での活動が始まりだしてたから研究が少し出遅れた。コーラを一日2本以上飲み始めた。
四回生
研究室の担当教員の教授から、「大学院どう? 向いてそうやと思うなぁ」と声をかけてもらう。そういえば小学校6年生のころの夢が科学者だったなぁということを思い出した。実験とか研究好きだなぁって思って大学院進学を決意。入試もパスして無事進学が決定した。
専門科目は全部履修できてたけど一般教養科目が足りなくて危うく卒業できないところだった。正直専門科目だけで120単位近くあるしそれどころじゃなかった。
四回生でも隣地実習があって、それが今度は病院実習で、これは三回生のときのに比べるとかなりハードだった。三回生の実習は1週間だったんだけど、それが2週間あってまず期間が2倍。実習先の人は怖いし当たり強いしでとにかく辛かった。
卒業研究は、実験設備が整ったのが夏ごろで、それまでほとんど進んでなかったから満足のいく結果にはならなかった。この鬱憤を修士で晴らしたいなと思ってる。
国家試験の模試は基本的に6割5分から7割をとれていたので、合格点には余裕があったため2月めちゃめちゃスプラにハマる。危うく落ちるかと思った。
総評
我ながら、結構進級が危ない場面はいくつかあったなぁとは思うけど、取り敢えず問題なく卒業できそうでよかったなと安堵してる。卒業単位数は合計で144、12の平方数だなぁと思いながら、なかなか頑張ったなぁとも思う。
正直、どうせストレートじゃ卒業できないやろうなぁとか、大学向いてないなとか、国試落ちたなとか思ったけど、全部杞憂でよかった。
私はこれまでの人生、何も達成したことないって思ってたけど、とりあえず大学卒業という大きな節目は迎えられそうで安心した。
来年から、心機一転頑張っていきたいなと思います。
長々と拙い文章で申し訳ありません。ご精読、ありがとうございました。